「板書がきれいに書けないのは病気です。」っていうのを板書がキレイに書けないことへのいいわけにしていたら、「病気をいいわけにするのをやめてください!」と言われたことがあります。こんにちわ。とある。です。
生徒のノートを見ていると、まとめるの下手だなー🙁って思うことが年々増えてきました。
字のキレイさとかはどうでもよいんだけど、書くことだけが「目的」になっているノートが多々あります。
予習のときに「全訳」を書いている生徒が、ノートにびっちり訳を書いているのを見ると、これ、赤字入れれなくない?って思ってしまいます。
今の若い人って、ノートに余白取らない人ほんと多いですよね。さすがSDGs世代だなって思ってしまいます。
僕はノートづくり好きでした。
授業では、ひたすらメモをとってとって取りまくって、それから、家に帰ってからじっくりノートにまとめていく。この作業の中で理解を深めていく。
理解が深まった後で、英語であれば徹底的に読み込んで、英語のままわかるように復習する。そんな風に勉強していました。
別にノートをとること自体が勉強の目的ではないのですが、でも、ちゃんとノートをまとめることができる能力は、大学受験だけにとどまらず、社会に出たときにも必要な技能になると思います。いわゆる情報を整理する能力って、AIの時代では特に必要なんじゃないかなーと思うので。
ノートをとるコツはひとつです。
自分の役に立つノートをつくることです。
人それぞれ自分が作りやすいノートがあるのです。だから、こうしなければいけない。っていうのはありません。
でも、やっぱり具体的にどうしたらいいかわからない人って多いですよね。で、今日紹介したいのがこの本。
『東大合格生のノートはかならず美しい』
もう15年前の本ですね。当時僕が大学生のときに出版された本で、とっても話題になったのを覚えています。
端的に言って、すごい売れたの!これ。
当時新聞社でバイトしてたんだけど、職場には東大出身の社員さんとかバイト君とか頭のいい人がいるわけ。で、みんな言ってたわ。こういう本を買うのって勉強できない人だけだよね。東大でキレイにノート取ってる奴なんて見たことない!って。
でも、今、思うと、勉強できない人ってノートの取り方について真剣に考えたことがない人が多いわけで、勉強できるようになりたいって思ったら何か具体的なアドバイスが必要で、そういうヒントが欲しい人にとって、この本はよくまとまっていると思います。
勉強ができるようになりたければ、勉強できる人のまねをすること。だから、そういった視点で、勉強のヒントを与えてくれるこの本はかなり画期的だったのでしょう。
今は、タブレットを使ってノートをとったり状況はいろいろ変わっては来ていますが、15年前も今も受験方式(基本、紙と鉛筆だよね)はほぼ同じ。勉強が苦手な人は、勉強の基本、ノートの取り方を学べると思います。
そうやって自分独自の自分にあったノートづくりができるようになるのが理想です。
何を言いたいのかというと・・・
ノートは余白をたくさんとろう。